2011年12月23日
7周年を迎えて・・・
12月18日焼肉ぽじゃぎは開店7周年を迎えました
7年間あたたかく見守って下さった皆様に心より感謝申し上げます
開店前、大阪で同じく焼肉屋をしている友達からきれいなお花が届きました
感激
それから、開店当初からぽじゃぎを大事にして下さっている常連のお客様T様より、スパークリング酒をいただきました
7周年ににちなんで7本も
2本はスパークリングワイン、5本はスパークリング焼酎「薩摩スパークリングゆずどん」です
「たぶんママさんお好みの味だと思いますよ」とT様に言われてちょこっとお味見
爽やかなゆずの香りがたまらない~私好みのお味でした
この7年間、いろんなことがありました。
開店当初からずっとぽじゃぎを見守って下さってるA様が最初の頃言って下さったお言葉を思い出します・・・
石の上にも3年という言葉があるように、まずは1年、3年、5年、そして7年を迎えた時、振り返ってみるといろんのものが積み重なってるはずだから、本物を出し続けてることに信念をもってまっすぐ進んでごらん・・・
こんな温かいお言葉をかけて下さいました。
・・・今この言葉の意味が分かるような気がします。
そのお客様は石碑やお墓の石などを作ってらっしゃって今までに1000個ほどの石を彫ってきた方です。
ご年配の方ですが剣術もしてらっしゃって、いつも人としての大切なものを学ばせて頂いてました。
なんとなく夫も私もお互いの亡き父がそばにいて守ってくれてるような不思議な感じを覚えてました。
7年前、焼肉屋を始めることを決めたちょうど3ヶ月前に私は最愛の父を亡くしたばかりでした。
生前父は、焼肉の無煙ロースターを製造販売してたので皮肉にも父が亡くなった後に焼肉屋を始めることになるなんて・・・
父のロースターで店をやりたかった・・・
そんな思いの中、弟が父の仕事場の倉庫に残っていた無煙ロースターの在庫を見つけたのです。
それも7台・・・
偶然にもぽじゃぎのテーブル数と一緒・・・
父が旅立つ時、まだ店を出す事は決まってなかったのに・・・
父だけが知ってて残して行ってくれたのか・・・
無煙ロースターが世に出始めたころ、当初のロースターは、煙は吸うけど焼けが遅く肉が乾いて味が落ちるという欠陥にみんな頭を抱えていました。
父はそこをクリアするために美味しく焼けて煙の出ないロースター作りに没頭していました。
何度も何度も「これで焼いてみ!」と言って考え抜いたロースターを実家の焼肉屋で、実際にお肉を焼いて味を確かめながら作り上げました。
父はついに真ん中にバーナーをもう一本入れて煙を吸いながらも熱が均等に全体に行きわたる構造を編み出し、実用新案を取得し、まず完成したロースターを実家の店舗に設置しました。
すると、すでに他社からロースターを入れて欠陥に悩んでいた四国松山の大手老舗の焼肉店のオーナーが「肉が違うんじゃないのか?うちの肉を焼かせてみてくれ」と言って、実家の店にお肉持ち込みで確認しにきたこともありました。
もちろんその後父のロースターに総入れ替えとなりました。
松山市内でも多くの焼肉店が、又、口コミで広まり、四国4県、広島、山口、島根のあたりまで父の無煙ロースターはいろんな焼肉店に設置されて行きました。
ぽじゃぎの無煙ロースターは父が研究を重ねてた初期のものでした。
その頃社会人になりたての私はお勤めをしながら実家の焼肉店と父の製造販売の経理(製造原価計算も)をしてたので、その経過を見てきたので分かりました。
真ん中の3本目のバーナーに脂が落ちてきても穴がつまらないように笠がかぶせてあるんです。
後に改良を重ね、真ん中に通した3本目のバーナーの上に「炎のカーテン」(父はこう呼んでいました)ができ、それをよけるように両サイドに脂が斜めに落ちていく構造に完成されていって笠ははずされたのです。
もちろん焼け具合は同じです。
焼肉が一番美味しい状態でジューシーに焼きあがり、またお客様のお洋服やお店も煙で汚れない・・・
両方の母たちから受け継いだ味、それを土台に私たち夫婦が作り上げていくぽじゃぎのお肉を父が作って残してくれた無煙ロースターでより一層おいしく焼いてくれてるのです。
厳選した素材、受け継いだ伝統の味、それと煙を出さずに快適にお肉をおいしく焼いてくれる父のロースター・・・
両親に見守られ、お客様に支えられ、7年を迎えたぽじゃぎはこれからも、「ぽじゃぎで食べたら体も心も元気になる!」皆様にとってそんなお店で長く愛され続けるよう日々精進してまいります。
皆様これからも焼肉ぽじゃぎをどうぞよろしくい願いいたします。
福岡県太宰府市大佐野
焼肉 ぽじゃぎ
http://www.yakiniku-pojagi.com
7年間あたたかく見守って下さった皆様に心より感謝申し上げます
開店前、大阪で同じく焼肉屋をしている友達からきれいなお花が届きました
感激
それから、開店当初からぽじゃぎを大事にして下さっている常連のお客様T様より、スパークリング酒をいただきました
7周年ににちなんで7本も
2本はスパークリングワイン、5本はスパークリング焼酎「薩摩スパークリングゆずどん」です
「たぶんママさんお好みの味だと思いますよ」とT様に言われてちょこっとお味見
爽やかなゆずの香りがたまらない~私好みのお味でした
この7年間、いろんなことがありました。
開店当初からずっとぽじゃぎを見守って下さってるA様が最初の頃言って下さったお言葉を思い出します・・・
石の上にも3年という言葉があるように、まずは1年、3年、5年、そして7年を迎えた時、振り返ってみるといろんのものが積み重なってるはずだから、本物を出し続けてることに信念をもってまっすぐ進んでごらん・・・
こんな温かいお言葉をかけて下さいました。
・・・今この言葉の意味が分かるような気がします。
そのお客様は石碑やお墓の石などを作ってらっしゃって今までに1000個ほどの石を彫ってきた方です。
ご年配の方ですが剣術もしてらっしゃって、いつも人としての大切なものを学ばせて頂いてました。
なんとなく夫も私もお互いの亡き父がそばにいて守ってくれてるような不思議な感じを覚えてました。
7年前、焼肉屋を始めることを決めたちょうど3ヶ月前に私は最愛の父を亡くしたばかりでした。
生前父は、焼肉の無煙ロースターを製造販売してたので皮肉にも父が亡くなった後に焼肉屋を始めることになるなんて・・・
父のロースターで店をやりたかった・・・
そんな思いの中、弟が父の仕事場の倉庫に残っていた無煙ロースターの在庫を見つけたのです。
それも7台・・・
偶然にもぽじゃぎのテーブル数と一緒・・・
父が旅立つ時、まだ店を出す事は決まってなかったのに・・・
父だけが知ってて残して行ってくれたのか・・・
無煙ロースターが世に出始めたころ、当初のロースターは、煙は吸うけど焼けが遅く肉が乾いて味が落ちるという欠陥にみんな頭を抱えていました。
父はそこをクリアするために美味しく焼けて煙の出ないロースター作りに没頭していました。
何度も何度も「これで焼いてみ!」と言って考え抜いたロースターを実家の焼肉屋で、実際にお肉を焼いて味を確かめながら作り上げました。
父はついに真ん中にバーナーをもう一本入れて煙を吸いながらも熱が均等に全体に行きわたる構造を編み出し、実用新案を取得し、まず完成したロースターを実家の店舗に設置しました。
すると、すでに他社からロースターを入れて欠陥に悩んでいた四国松山の大手老舗の焼肉店のオーナーが「肉が違うんじゃないのか?うちの肉を焼かせてみてくれ」と言って、実家の店にお肉持ち込みで確認しにきたこともありました。
もちろんその後父のロースターに総入れ替えとなりました。
松山市内でも多くの焼肉店が、又、口コミで広まり、四国4県、広島、山口、島根のあたりまで父の無煙ロースターはいろんな焼肉店に設置されて行きました。
ぽじゃぎの無煙ロースターは父が研究を重ねてた初期のものでした。
その頃社会人になりたての私はお勤めをしながら実家の焼肉店と父の製造販売の経理(製造原価計算も)をしてたので、その経過を見てきたので分かりました。
真ん中の3本目のバーナーに脂が落ちてきても穴がつまらないように笠がかぶせてあるんです。
後に改良を重ね、真ん中に通した3本目のバーナーの上に「炎のカーテン」(父はこう呼んでいました)ができ、それをよけるように両サイドに脂が斜めに落ちていく構造に完成されていって笠ははずされたのです。
もちろん焼け具合は同じです。
焼肉が一番美味しい状態でジューシーに焼きあがり、またお客様のお洋服やお店も煙で汚れない・・・
両方の母たちから受け継いだ味、それを土台に私たち夫婦が作り上げていくぽじゃぎのお肉を父が作って残してくれた無煙ロースターでより一層おいしく焼いてくれてるのです。
厳選した素材、受け継いだ伝統の味、それと煙を出さずに快適にお肉をおいしく焼いてくれる父のロースター・・・
両親に見守られ、お客様に支えられ、7年を迎えたぽじゃぎはこれからも、「ぽじゃぎで食べたら体も心も元気になる!」皆様にとってそんなお店で長く愛され続けるよう日々精進してまいります。
皆様これからも焼肉ぽじゃぎをどうぞよろしくい願いいたします。
福岡県太宰府市大佐野
焼肉 ぽじゃぎ
http://www.yakiniku-pojagi.com
Posted by ぽじゃぎママ at 01:17│Comments(0)
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