2012年01月07日
オモニ40年間お疲れ様!!
私が6歳の頃から四国松山で40年間焼肉屋を営んできた実家のオモニ(母)がこの度お店を閉店しました。
オモニが焼肉屋を始めた頃、私は6歳、弟3歳、妹1歳・・・
弟は子供の頃、虚弱体質でしょっちゅう病気をしてたので、オモニは1歳の妹より3歳の弟をおぶって店をやっている日が多かった。
最近は規模を縮小して、オモニとパートさん1人で営業してましたが、私が子供の頃は、実家は帝人製機の工場が近くにあり、日勤と夜勤の交代時のお客さんも多かったため、夜中の3時過ぎまで営業し、朝は10時頃から店に入りランチタイムもやっておりました。
それでも朝早く起きてちゃんとお弁当も作ってくれて学校に送りだしてくれてたので、私は子供の頃オモニの寝てる姿をほとんど見たことがなかったのです。
休みは月に1度だけ。
とにかく働いていました。
いつも眼の下にクマがくっきり。
私も子供の頃から店の手伝いをかなりさせられ、特に土日の夕飯時はお客様が同時にいっぱいになるのでかなりお店の戦力にさせられていました。
開店当初はテーブル数9テーブルでしたが、私が小6の時には大きく立て替え、客席は15テーブル、後には2階に宴会場もでき、てんてこまい・・・
特に運動会やキャンプ、学校行事などでヘトヘトになって帰ってきた日、決まって店が忙しく、子供だったので体がきついのにとぶつぶつ文句いいながら手伝っていました(笑)
今でも妹と私、日曜のサザエさんが始まるとソワソワするんです
日曜のちょうどその時間決まって店から「ちょっと手伝って~!!」とプッシュホンがなったからです。
弟の会社の手伝いをすることになったことと、かなりオモニの体力、気力ともにきつくなってきてたので、思いきって2011年末をもって閉店を決心したのです。
それが、私が子供の頃から来て下さっている常連さんがお正月に子供たち、孫たちがみんな帰ってくるので大家族で予約を下さったんです。
2代、3代とオモニの店を長年愛して下さったお客様です。
ということで16名様の予約を2日に受け、その日をもって閉店となりました。
最後の日、妹と一緒に「オモニ、40年間お疲れ様!」ってお花を送りました。
オモニは感激してとても喜んでくれました。
そして翌日、私の家に遊びに来て、2晩泊って実家へ戻って行きました。
空港へお迎えに行き、「オモニ40年間お疲れ様!」というと・・・第一声が・・・
「あんたらに苦労かけたね~ほんとあんたら子供の頃から苦労したわ・・・」とそればかり・・・
必死必死で生きてきて、オモニもつらかったんだ・・・
「店やめてもバチあたらんよね~」って何度も繰り返してました。
オモニ40年間ほんとにお疲れ様でした!!
オモニがうちにいる間、前回習った韓国伝統蒸し餅シルトッを作ってみることに。
今回は自分用の蒸し器を買い、最初から最後まで1人で作ってみました。
作り方は言葉で説明するととってもシンプルなんですが、奥が深い深い・・・
ゆで加減、水加減、蒸し加減、塩加減・・・言葉では言えない体で覚える感覚・・・
子供の頃から見てきたこと、聞いてきたこと、食べてきた食感、味・・・
すべてがひとつになって私がつかんだ感覚をオモニに評価してもらいました。
するとオモニがびっくりするくらい「上出来!」「ぴったり!」と太鼓判をもらえました。
これは母から伝授してもらった大切な宝物です。
それにこの日ははアボジ(父)の命日。
法事は松山にいる家族みんなが集まれるお正月に前もって済ませてたので、アボジの写真の前に私の作ったシルトッをお供えしました。
今回は短い滞在だったけど、糸島の牡蠣小屋に牡蠣を食べに行ったり、おいしいわらびもちのカフェでお茶したり、山の中にある古民家のしゃれたお蕎麦屋さんや、天拝山の麓にある自然の中の自家焙煎珈琲やさんへ行ったり・・・
店の仕込をちゃちゃっと手伝ってもらったり、夜一緒にお風呂に行ったり・・・
それから、普段1人暮らしなのでみんなで鍋が食べたいと言うので、子供たちと鍋を食べたり・・・
弟の会社の仕事始めの日に間に合うように5日の夕方松山へ帰って行きました。
福岡県太宰府市大佐野
焼肉 ぽじゃぎ
http://www.yakiniku-pojagi.com
オモニが焼肉屋を始めた頃、私は6歳、弟3歳、妹1歳・・・
弟は子供の頃、虚弱体質でしょっちゅう病気をしてたので、オモニは1歳の妹より3歳の弟をおぶって店をやっている日が多かった。
最近は規模を縮小して、オモニとパートさん1人で営業してましたが、私が子供の頃は、実家は帝人製機の工場が近くにあり、日勤と夜勤の交代時のお客さんも多かったため、夜中の3時過ぎまで営業し、朝は10時頃から店に入りランチタイムもやっておりました。
それでも朝早く起きてちゃんとお弁当も作ってくれて学校に送りだしてくれてたので、私は子供の頃オモニの寝てる姿をほとんど見たことがなかったのです。
休みは月に1度だけ。
とにかく働いていました。
いつも眼の下にクマがくっきり。
私も子供の頃から店の手伝いをかなりさせられ、特に土日の夕飯時はお客様が同時にいっぱいになるのでかなりお店の戦力にさせられていました。
開店当初はテーブル数9テーブルでしたが、私が小6の時には大きく立て替え、客席は15テーブル、後には2階に宴会場もでき、てんてこまい・・・
特に運動会やキャンプ、学校行事などでヘトヘトになって帰ってきた日、決まって店が忙しく、子供だったので体がきついのにとぶつぶつ文句いいながら手伝っていました(笑)
今でも妹と私、日曜のサザエさんが始まるとソワソワするんです
日曜のちょうどその時間決まって店から「ちょっと手伝って~!!」とプッシュホンがなったからです。
弟の会社の手伝いをすることになったことと、かなりオモニの体力、気力ともにきつくなってきてたので、思いきって2011年末をもって閉店を決心したのです。
それが、私が子供の頃から来て下さっている常連さんがお正月に子供たち、孫たちがみんな帰ってくるので大家族で予約を下さったんです。
2代、3代とオモニの店を長年愛して下さったお客様です。
ということで16名様の予約を2日に受け、その日をもって閉店となりました。
最後の日、妹と一緒に「オモニ、40年間お疲れ様!」ってお花を送りました。
オモニは感激してとても喜んでくれました。
そして翌日、私の家に遊びに来て、2晩泊って実家へ戻って行きました。
空港へお迎えに行き、「オモニ40年間お疲れ様!」というと・・・第一声が・・・
「あんたらに苦労かけたね~ほんとあんたら子供の頃から苦労したわ・・・」とそればかり・・・
必死必死で生きてきて、オモニもつらかったんだ・・・
「店やめてもバチあたらんよね~」って何度も繰り返してました。
オモニ40年間ほんとにお疲れ様でした!!
オモニがうちにいる間、前回習った韓国伝統蒸し餅シルトッを作ってみることに。
今回は自分用の蒸し器を買い、最初から最後まで1人で作ってみました。
作り方は言葉で説明するととってもシンプルなんですが、奥が深い深い・・・
ゆで加減、水加減、蒸し加減、塩加減・・・言葉では言えない体で覚える感覚・・・
子供の頃から見てきたこと、聞いてきたこと、食べてきた食感、味・・・
すべてがひとつになって私がつかんだ感覚をオモニに評価してもらいました。
するとオモニがびっくりするくらい「上出来!」「ぴったり!」と太鼓判をもらえました。
これは母から伝授してもらった大切な宝物です。
それにこの日ははアボジ(父)の命日。
法事は松山にいる家族みんなが集まれるお正月に前もって済ませてたので、アボジの写真の前に私の作ったシルトッをお供えしました。
今回は短い滞在だったけど、糸島の牡蠣小屋に牡蠣を食べに行ったり、おいしいわらびもちのカフェでお茶したり、山の中にある古民家のしゃれたお蕎麦屋さんや、天拝山の麓にある自然の中の自家焙煎珈琲やさんへ行ったり・・・
店の仕込をちゃちゃっと手伝ってもらったり、夜一緒にお風呂に行ったり・・・
それから、普段1人暮らしなのでみんなで鍋が食べたいと言うので、子供たちと鍋を食べたり・・・
弟の会社の仕事始めの日に間に合うように5日の夕方松山へ帰って行きました。
福岡県太宰府市大佐野
焼肉 ぽじゃぎ
http://www.yakiniku-pojagi.com
Posted by ぽじゃぎママ at 23:08│Comments(0)
│家族のこと